2012年7月17日火曜日

ワイルドキャンプ、さえずりの谷で開催。

いよいよ7/14-16、被災地で学ぶワイルドキャンプの開催。 津波の被災現場を被災者とあるき、将来の自分の被災をシミュレーションするために欠乏条件で野営プログラムを始め、地元の方から「当時のやり方」を習って真似てみました。

参加者は当初予定の県外の小学生親子の参加が得られませんでしたが、地元歌津の小学生と親御さん、歌津訪問経験のある一般の参加者を中心に、スタッフを含め16名で、「やり方を工夫する」ことを学びました。

 参加者による話し合いで調達しなければならないものを決め、地元の情報を得て、井戸まで歩いて水くみ、薪になるものを探してたき火おこし。食料集めでは、海岸のメカブやワカメ、さえずりの谷のぐみや桑の実、子供らが捕まえたモクズガニなど。二日目には食器作りのため竹を切り出しに出ました。かんづめを食べたあと、灯明や調理器具に利用。がれきの残る沢では調理器具を拾って洗う子どもたち。ハサミと空き缶で調理する地元のお母さん。 活動の合間に、被災者から当時の話を具体的に伺い、野営についてアドバイスももらいました。



「都会の人は焚き火のたき方知らないんだなあ」
「味のついてない小さなおにぎりばかり食べて、欲しいなと思ったのは塩。味噌は持って逃げるのが重くて、すぐなくなる」
 「避難所では食べる人に優先順位がありました。まず子ども病人、女性、それから男たち。食事をとらずに早朝からガレキ撤去に行く日が続いた」
 「うちの井戸を開放したが、汲みやすいように器具を竹で作ってやったんだ」
 「竹のコップにめいめい底に名前を書いて、持ち手を工夫する人もいた。自分は避難所の解散まで大切に使った」

 命がけの厳しい条件と背中合わせに、工夫した自慢が被災者から語られる時には笑顔もこぼれます。自分が生き残ることだけでなく、生き残れる人をおおくすることが目的だった、というサバイバル状況を聞いた参加者からは、「食とエネルギーとケア」というキーワードも出てきました。 天候が雨で、雨の中歩かねばならなかったり、木が湿って火がつきにくかったり。はたまた陽射しが強い朝があったり。その中で工夫して何とかする姿勢を繰り返し問われました。

 今回の参加者はモニターでもあったため、今後このプログラムをどう充実させるか、またプログラムを他の地元の自然体験活動とつなげていく可能性などを話し合いました。ヤマ学校が日常的に取り組んでいる子供の自然遊びは、地域の自然と歴史に誇りを持つ、コミュニティの当事者意識を育てることに繋がるとの指摘もありました。さらに地域と交流する他県からのビジター/ボランティアにも、将来の災害の可能性への対応を含め、自分の地域の課題への当事者意識を育てる一助となるでしょう。

被災者こそが先生。地域の全員がサバイバル生活体験者。

それが被災地でこそ行えるプログラムの特徴です。歌津の人たちは、ここに滞在を決めたヤマ学校にたいして口々に「都会の人は、次の大地震で大丈夫なの?」と問うてきます。今回テーマにした食や水、火のほかにも、トイレやゴミ処理という衛生ライフライン、寒さ対策をテーマにすることも今後考えられ、それは都会での被災時にも通じる課題です。

(プログラムの詳細な報告や写真は、別途参加者による記事をご参照ください。) by スパイダー/蜘瀧仙人