2012年7月24日火曜日

被災者の経験から教えられる、災害時の工夫

7月14日(土) 
初日は正午から昼食を取りながらのオリエンテーションでキャンプスタート

避難所運営に携わった阿部文洋さんの案内で避難所になった歌津中学校を見学。阿部さんの話

「当初、中学校には約700人が避難していた。その後は住居が決まったり、出稼ぎに行く人が増えて、400‐500人となり、昨年の6月から仮設住宅への入居が始まったことで激減、8月に解散した」




伊里前川で伝統のシロウオ漁を行っている渡辺千之さんとともに津波で落橋した歌津大橋へ向かう。渡辺さんの話

「そのときは感じたことのない揺れだった。 伊里前川は液状化していて至るところで噴水のように噴き上げていた。ただごとではないと思った」
「津波はちょうど、鳴門のうず潮のように渦を巻いていた。自分は家のすぐ裏の山に逃げた。年取った母親は近くにいた親戚の車に乗せてもらって逃げた」
「伊里前のシロウオは死んでしまったと思ったが、ガレキの川で去年生まれて海で育ったのが、今年遡上してきた。家も仕事も流されてしまったが、春告げ魚が戻ってきたのがうれしい」

津波の一時的な避難箇所になった三嶋神社を経由して近くの沢を歩く。途中、線路が流された気仙沼線のトンネルが見える。沢ではいまだに回収されない醤油やマジックペンなどが散乱していた。キャンプ主催者・てんぐのヤマ学校からの説明 

「津波はとにかく高い所へ逃げなければいけない。津波と追いかけっこになってしまうから。特に川沿いの道は危険でいくら海から離れたとしても駄目」
「当時は流された食材を拾い集めて洗って食べようとも試みたという。また、気仙沼線のトンネル付近には沢が流れ、天然の冷蔵庫になる」


午後3時すぎ、「さえずりの谷」到着。早速、役割分担を決めて作業に取り掛かる。日没で暗くなる時間を午後7時と想定して①水汲み②火起こし──に当たる。水汲みは3人、火起こしは4人が担当。水汲み班はペットボトルのほか、ビニール袋を利用して井戸から水を約50㍑を約1時間半かけて持ち帰る。往路では引き継ぎができるように地図を作製しながら進む。また、井戸ではプラスティックのバケツで水を汲み上げようとしたが、軽くてなかなかうまくいかなかった。ただ、ある方法に気づいたことで、順調に進むようになった


同日午後6時すぎ、作業を一通り終えた後、地元の伊里前契約会・元会長の小野寺弘司さんに話を聞く

「まず、逃げるときは声を掛け合うことが基本」
「震災当日の夜は雪の降る中、中学校の校庭で火を焚いて、避難所の場所がわかるようにした。食器が何もなかったので、竹を切り出し、箸やコップをつくらせた。そのコップは避難所を出るまで使い続けた」    
「食事は当初の3、4日は小さいおにぎり1個だけ、それも優先順位があった。まず、子どもと年寄り、病人。次に女性。それから男たち。男らは食事も取らずに朝からガレキ撤去に行っていた」
「水汲みは2時間おき、10人で約700人分の水を汲んだ。水は大切。飲むのはもちろん、洗い物やトイレまで使うから。いちばん大切」       
「灯りになるのは、何もろうそくだけではない。缶詰の油も使える」
「リーダーの決断力は大切。早く決めないと人は逃げていくし、ばらばらになってしまう」
「今回の場合、(南三陸町の)志津川と歌津との間に格差が生じた。歌津は陸の孤島になってしまった。自衛隊は震災3日後にまず、バイクで歌津入りして、その後に本隊。米軍は1週間後にヘリコプターから水を補給してくれた」


持ち寄った携行食で夕食を取ったあと、就寝        


7月15日(日)
2日目は午前6時、起床。ラジオ体操のあと、木の実取りへ。キイチゴ、グミ、クワノミなどを採取して朝食に利用


前日、聞いた小野寺さんの話を実践に移すべく、2人が竹やぶから竹を切り出して食器、コップ、箸作り。そこで掘り出した筍は昼食のおかずに。さえずりの谷に残った参加者は薪を拾い集めて火起こし。地元小学生らが合流して、5人で食材探しに出かける。昼食の準備中に小学生と一緒に参加してくれたお母さんの話

「震災直後は味のついていないおにぎりばかりで、欲しいなと思ったのは塩。味噌も便利だけど、持って逃げるのには重くて、すぐなくなってしまうから。それから常に塩を持ち歩くようになった」


正午すぎ、昼食の準備が整う。メニューは若布と筍の和えもの、海岸で手に入れためかぶ、沢で捕獲したモズクガニの味噌汁、ご飯。「救援物資」として届けられた魚のレトルト

午後からは再び火を起こす。今度は小学生2人が挑戦。かまどを準備し、マッチを擦って薪に火をつけ、焚き火に




午後7時すぎ、メニューは支援物資の缶詰、焼き筍、スープ、ご飯。このとき開けた缶詰の油を使ってランプを作る実験


午後9時、就寝










7月16日(月・祝)
最終日は午前6時起床。ラジオ体操のあと、2日目から参加したメンバーが火を起こして湯沸し。朝食は防災ビスケットに缶詰

午前9時から今回の総括となるワークショップ開始


以下は参加者から今後可能なら確保すべきものが何かを上げてもらった

「どこに何があるのかの地図作り」
「水場の確保」
「組織・体制の確立」
「なた、ナイフ、ドライバーなどの工具の必要性」
「薬の確保」
「防寒具の確保」
「食料管理・エネルギー管理・精神的なケアをするグループを分ける必要性」

一方で、阿部さんからは参加者が気づかなかった指摘を2点、受けた


また、仙台の避難所に一時的に入った経験のあるキャンプスタッフから次のような意見も

「仙台の避難所は菓子パンなどが支給されていたが火気は厳禁で、テレビで火を焚いている避難所を見て、うらやましいと感じた」


そして最後にサバイバルとは

「まず、自分が生き残り、次は1人でも多くの人が生き残ること」


正午すぎに終了、解散



てんぐのヤマ学校広報スタッフ・ごとう