2012年3月30日金曜日

三嶋神社・春の例祭をまえに、子供たちの準備

31日に歌津・三嶋神社で春の例祭が行われます。てんぐのヤマ学校では子ども神輿を製作して子どもたちと一緒に祭りを盛り上げます。春の例祭は江戸時代から続く伝統行事で、4年に1度行われてきました。昨年秋、行われる予定でしたが、震災の影響で中止に。年を越してようやく、従来より小さな規模ですが開催されることになりました。
三嶋神社の例祭で、子どもたちは本来、江戸時代から代々受け継がれた衣装を着て、山車に乗り、太鼓をたたいて町内を回ります。

2012年3月19日月曜日

川の語りを聞く ~川学校復活への模索

3/19伊里前川の清掃に取り組みました。群馬の遊び集団あるきんぐクラブさん一行が、ヤマ学校応援にきてくれ、参加しました。他にも歌津ボランティアリピーターだった方々が当日飛び入り参加してくれました。

子どもたちが遊べる水辺であり、春にはシロウオが遡上して伝統漁がなされる風物詩の光景がみられた、歌津の中心を流れる、山と海の命をつなぐ川。

 
福幸商店街の会長さんから、しろうお祭の取り組みの経緯をうかがいました。中学生が仕入れから体験する出店があったこと、しろうおのような指コンテストのこと、歌津に観光客に来てもらうための工夫のこと、など。
 
 
シロウオがどの辺にまで遡上してくるか、水深が変わってしまった伊里前川を前に、漁師さん同士の話し合いが行われています。

 
ガラス、陶器、鉄くず、衣類など様々拾うなかで、川底から見つかったのは、なんと流された千葉さんの船の鉤。巻き方が独特なので間違いなく自分のものだという。他にも歌津駅の切符切り鋏と思われるもの。
 
 
軽トラ二杯分を川から集めました。
 
 
河口近くであるため潮の満ち引きに応じて水位が変わり、胴長でなくブーツだと作業しながら足を濡らしてしまうことも。瓦で火を焚いて乾かしました。強風の中、あるきんぐクラブが持ってきてくれた「ヒデ」(赤松のヤニを吸った木片)で焚き木をすると勢いよく火が点きました。
 
この日はかなりの強風。風と水に対する対策の工夫、そのうえで水中や水辺から発見する様々な気付き。災害後の落し物や「思い出の品」に加え、復活しつつある生き物の息吹が見つかります。この日は石の下のハリゲコモリグモの仲間や、枯れ草の間に緑の芽を出す植物を見つけました。そんな活動の全てが、小さな「学び」につながると思います。現場で危険を回避する術を学び、自然の恵みを五感で感じる。それは災害教育でもあり、ほんらいヤマ学校の伝統であるかもしれません。
 
 
石組を積んでシロウオを追い込む「ざわ漁」に使う大きな石が津波で流され足りないと漁師さんは言います。大きな石は大雨で長い間かかって上流から転がってきたもの。シロウオが河床に産卵する場所は石の下。産卵に手頃なサイズの石も流されて少なくなっているらしい。川底のものを拾いながら、石の代わりをする構造物がないか、と考えてみました。たとえばたくさん川に落ちている瓦。土を焼いて作った瓦は、自然物である石にかなり物理性質が近いため、伝統的里山景観のなかでトカゲの日光浴場所になったり蛇の脱皮場所になったりします。ひょっとすると川でシロウオの産卵床の代わりをする人工物があるかもしれない、そんな実験をしてみたらどうだろう、と思いつきました。川学校の一つの課題になるかもしれない。

小学校の先生と話し合うと、川の危険がある程度取り去られ、子どもを連れていけるのはずっと先ではないか、とおっしゃいます。津波でえぐられた下流部は確かにそうかもしれない。であれば、我々大人が代わりに近寄って観察し、つかまえてきた生き物を、ナマのまま岸の上で見ている子どもたちに運んでやればいいかもしれない。何とかして、川の自然の姿を子どもたちに感じて欲しい。そして津波後の課題を、生き物の目線と子どもたちの目線にあわせて一緒に考えたい。それがてんぐのヤマ学校のテーマです。

2012年3月12日月曜日

シロウオの遡上する綺麗な伊里前川を子供たちに

■伝統シロウオ漁の行なわれる川の整備を手伝います

歌津てんぐのヤマ学校では、伊里前川で100年前からずっと行われてきた『ざわ漁』によるシロウオ漁が復活することを願って、川の整備のお手伝いさせていただくことにしました。ヤマ学校の主な地域の対象者は子供たちなので、長い目で川の再生を見守り行動して行く子ども世代を育てるお手伝いのために、という大きな目標があります。

シロウオ(ハゼ科)は春になると河口から少し登ったゴロ石の多い河床に産卵する習性があり、遡上するところを独特の石積みで追い込んで籠で獲るという全国でも珍しい『ざわ漁』が歌津にはありました。近年は『しろうお祭』として町の行事にもなっていました。石積みは、町の中心を流れる伊里前川の風物詩として、町の人には楽しみな光景でした。

津波は石積みを押し流し川の水辺の葦原を根こそぎにし、地震がもたらした地盤沈下は水深を変えてしまいました。環境が変わった今年、シロウオの遡上がどうなるかは未知数。それでも伊里前の漁師さんたちは、ざわ漁の復活に賭けることにしました。しろうお祭を主催する商工会の仮説店舗の皆さんも『シロウオ漁がみたい』と期待をかけているからです。

3/11の夕刻、若い漁師の千葉拓さんと一緒に伊里前川を歩き、現場を確認して、今年の漁の準備をお手伝いさせていただくことを決めました。3/19(月)が最初の作業日になります。


■滞在は自分で考えることから

歌津は宿泊施設がいくつかありますが、この時期予約が埋まっている可能性も高いです。ヤマ学校応援にきてくださることが以前から決まっていた栃木の自然学校『あるきんぐクラブ』さんの仲間たちは、上沢集会所に滞在します。キャンプ地・さえずりの谷は、雪がとけきらない寒さですが、昨夜から薪ストーブが稼働して、少々の煙たさは気にしないスパイダーは快適に暖かく寝ています。かつてのRQのように登米の鱒渕小に宿泊して自家用車で歌津入りする可能性もあるかもしれません(東京の社団または登米鱒渕小の浦田さっちゃんに確認してください)。

現時点では、御自分の移動手段や予算を勘案して、歌津での作業に加われるよう各自工夫していただきたいのです。津波の後の緊急支援期に、寒さと不便さをものともせずテント泊した歌津拠点についてお聞き及びだったと思います。春とはいえ、雪が降れば凍える寒さが、再びめぐってきています。

しっかり準備をして来てください。


■作業内容 川に学ぶこと、川に関わること

川の清掃、石運びなどです。冷たい水に入るので、防寒と防水が必須です。できれば、『胴長』を準備してください。水に入れる準備のない方は、川沿いの清掃などそれ以外の作業を工夫しましょう。例年のシロウオ漁準備とは勝手が違うので、作業は現場で臨機応変に変わる可能性があります。

もうひとつヤマ学校が計画している活動として、春休みの『里山学習&春遊び大作戦』があります。水に入っての作業ができない日、できない方は、川の自然や文化、仕事について学び、それを子供と分かち合う活動やその準備に携わっていただく場合もあります。

てんぐのヤマ学校では、歌津の山からの清流がつくる水辺が、湾につながっている生態系の豊かさを、地元の人々と共に学び、子供達に誇りを再確認してもらう機会として、川の整備も考えています。ボランティアは『何かをしてあげる』ということではなく、自発意思(ボランタリー)で、従来コミュニティにあった助け合い作業に、地元で暮らして行こうとするヤマ学校もまた参加する、ということととらえています。皆さん一人一人がそのヤマ学校プロジェクトの臨時スタッフです。
災害でうしなわれたものと、自然の復元力で生まれつつある命の息吹をしっかり感じとる学びの姿勢で参加してください。

また天候等により、作業が変更になる場合もあるのでご了承を。上記のヤマ学校のテーマに沿った、環境調査や、子供たちの活動支援やそのためのインフラ整備に切り替わることもあり得ます。

参加の問い合わせは、次のいずれかまで。

・東京在住の山下勇(野犬)。電話は夜間のみ。歌津の元現場スタッフで、地元の事情に明るい。
yamagakkou@gmail.com
090-6603-2030
・RQ災害教育センター。昼間対応できる東京の受付窓口。
rqdec@rq-center.jp
03-5834-7977

2012年3月11日日曜日

命をはぐくむ海と川に感謝する日々をとりもどしたい

 
 
■ 伊里前湾での慰霊祭
 
3・11 2時46分。南三陸町の防災放送からのサイレンが鳴る。
津波犠牲者を追悼する献花台が設けられた伊里前湾海辺。海を臨む位置に建っている伊里前福幸商店街のマルエーストアのご主人が、防潮堤の上から花束を海に投げ入れた。
 
昨夜は雪が降り、今日は朝から好天。夕刻から風が強くなり降雪となりそうとの天気予報が流れたのを聞き、町の人たちはみな「あの日と同じだ・・」とつぶやいた。夕方には冷たい風が吹き始め、川の水を触ってみたが驚くほど冷たかった。こんな冷たい水でずぶぬれになった被災者が、降りだした雪のなか高台へと逃げたあの日のことを、被災のあとにボランティアに来た私達は、想像するしかない。
 
避難所の炊き出し班だった元気なお母さんのめぐみさんが、まだ暖かかった秋頃に私に言ったことば。「雪が降った時に、津波の日がどんなだったか分かるんだよ。」  さえずりの谷の屋外テント小屋で冬を越そう、と決意したのは、実は彼女のこの言葉が大きかった。
 
電気や水道や暖房のライフラインが不十分なアウトドア生活を(毎日とはいわないまでも)継続してきて、マイナス15度の外気温の日も体験した。地元の人たちが気遣ってくれる心の温かさや、冬の保存食のありがたみ、海や畑でとれた新鮮な食べ物を分かち合ってくださるありがたみ、そして火鉢や身体を温める食材をはじめ厳しい寒さに立ち向かう昔暮らしの知恵の数々。。。この土地に移住を決めて8ヶ月、学ばせていただいたことは数知れない。
 
(一週間前の雪の歌津。小学校仮設住宅の向こうに伊里前川うたちゃんはし)
 
 
たくさんのボランティアがRQを通してこの地に来て復旧のお手伝いをしながら、たくさんの事を学ばせていただいたが、1年たって景色はコンクリの基礎がむき出しのエリアが広大に広がっている。半年以上ぶりに予告なくこの日伊里前を訪れてくれたRQの長期ボランティア・あっきー君との再会は嬉しかったが、三嶋神社参道からの光景を見て、「一年たって・・」と言葉をつまらせた。
 
 
■三嶋神社前にささげられた祈り
 
歌津の最大の祭りである三嶋神社秋の大祭は、4年に1度開催されるが、本来ならば去年がその年に当たっていた。勇壮な獅子舞、荒れ神輿、子どもによる笛太鼓囃子で知られたが、江戸時代からの手作り衣装を含めて津波で失われてしまった。今年3/31には、静岡県裾野市の三島神社にあった神輿が、氏子さんの好意で寄付いただけることになり、津波後初めての三嶋神社の神輿渡御が行われる。
 
夏と秋のさえずりの谷キャンプでは、子どもたちの手作りの神輿や獅子でお祭りごっこをした。そこに三嶋神社の記録ビデオから聞き取ったお囃子の笛の音を加えてくださったのが、RQボランティアだったいのりさん。この日、再び伊里前にかけつけてくださった。子どもたちとの再会を果たし三嶋神社にみんなで参拝しようと誘いを入れていたのだが、仕事を終えた親御さんが連れ出そうとしたときには遊びに出掛けてしまっていたという。さえずりの谷の常連である小学校低学年の彼らにとっては、貴重な遊びの日曜日。それもまた、地元での3・11の過ごし方だった。
 
3/31のお祭りには、子ども神輿をふたたび手作りして出そうという相談を、子どもと親たちと始めたところ。谷から町にヤマ学校の神輿が出るのは初めてのことなので、親子での参加を呼び掛けてやりましょうと、夏秋の参加者の親御さんと企画中。
 




 
朝から三嶋神社の参道下に、手づくり絵馬を書いていただく場所をいのりさんに手伝っていただいて設置した。大みそかには境内で法印(神主)さまと一緒に絵馬を参拝者に提供させていただいたのだが、ボランティアの娘さんがデザインした「うたつ」絵馬が再び登場。RQ跡地横に建つ白テント商店街の床屋・れい子さんのお子さん二人は絵馬を書きながら、小学生じぶんにお祭り太鼓に参加したことを懐かしがっていた。参道のすぐ脇に家があって流されてしまった「下地区の千葉さん」は、ガレキになった自分の土地にたち、子ども自分に神社参道や隣の山で遊んだ昔話を聞かせてくださった。氏神さまの石も流されてしまったこと。古いお墓が、津波以前にも造成のたびに移転させられたり、宅地化に際して合葬を余儀なくされたこと。
 
伊里前にはとても古い歴史のある家に住んでいた人たちが多い。彼ら彼女らが語る「ここにあった家」は、建物だけではなく、古い記憶につながっていく。子どものころの光景、さらにはおじいちゃんのおじいちゃんが云々。津波が奪えなかったものの一つは、そういう共同体の記憶だ。それが、共同体が復興していくときの大切な鍵の一つだと、てんぐのヤマ学校は信じている。それゆえに、そうした「語り」を子どもたちをふくめた若い世代に伝承していただくお手伝いをしようとしている。
 
 
■海と山をつなぐ伊里前川の豊かさ 
 
自然の脅威と恵み、そして共生と人の絆。1000年ぶりの大津波は、千年前からこの地の人々に大切にされてきた、自然への畏敬と感謝を、一年たって、語る人々がいる。慰霊祭の場に自動車ではなく仮設住宅から自転車でかけつけた若い漁師の千葉拓さんは、一緒に伊里前川を河口から歩きながら、津波前の町並みと人々、子どもたちの笑顔のことを、昨日のことのように語ってくれた。
 
  
「この水門の橋のところで子どもの頃遊んでは、汽水域に集まるボラやクサフグを獲って、『クサフグ祭りだ!』と大騒ぎした」

「橋げたの間のこんなところに流されたカキが挟まってる! うちほのカキかもしんね。今年はじゃみっ子(小さくて味の濃い特別のカキ)はとれるだろうから、食べてもらいますよ」
 
「ここにとても大きな家があって、ここにあった路地にものを持っていくと、いつも小さな子が顔をだして可愛かった」
 
「川から上がってくる色んな生きものが、道路際のこの側溝に住んでいて、子どもの頃の遊び相手だった。そこも復興計画の道路のかさ上げで消えてしまうんだよな。」
 
地盤沈下して深さが変わってしまった伊里前川は、以前は河口からすぐのところにシロウオが遡上して産卵していた。今の時期から準備して、川の中に石組をつくって籠で獲る「ザワ漁」が戦後の伝統漁法としてなされていた。津波による地盤沈下で、川の深さが変わってしまったので、この日、川沿いを歩きながら、ザワ漁を再開する場所を検討する拓さんに同行した。津波で流されてしまった石組を復活するのに、人手がいるという。3年前からシロウオ祭りとして町の行事にもしていたこの漁は、ぜひ再開してほしいと、商工会の人たちも願っている。「手が足りなければお手伝いさせて欲しい」と申し上げ、全国でも貴重なこの漁の準備作業を地元の方と一緒に体験させていただく研修ツアーを、ヤマ学校で準備することになるみこみ。
 
しろうおの遡上だけでなく、湾の漁獲の豊かさ・生き物の生態系の豊かさは、山から流れる栄養を運びこむ伊里前川の清流が大きく支えている。美しい川を再生させる課題は、沿岸地形の変化という問題もかかえつつ、長期にわたって地元と一緒にとりくまねばならないことだ。
 
今年ヤマ学校に課外授業で来てくれた児童たちは、来年は田束山の動植物について総合科で学習する。そこにヤマ学校から講師として参加させていただくことが決まった。春からは、山川海の生き物の恵みと環境の再生について、子どもたちと一緒に考えていく都市農村交流を作っていきたい。